多くの日本人が特別な感慨を抱く戦艦大和と武蔵!
戦前に作られ、傑作と言われた巨大戦艦は太平洋戦争の末期に米軍空軍の集中攻撃
によって太平洋の奥底に沈み、その雄姿は二度と私たちの目の前に現れることは
ありません。しかし私たちはこのことから何を学ぶべきでしょうか?

大和型戦艦が搭載した46センチ三連装主砲は、戦艦搭載の艦砲として現在に至る
まで最大であり、装甲は46センチ砲弾を受けても耐え得る強靭性を誇りました。
大和と武蔵が「史上最大・最強の戦艦」であることは紛れもない事実です。
しかし、様々な技術的な欠点も指摘される中、戦わずしてその短い生涯を閉じる
運命をたどってしまいました。
■技術の意味が違う?
例え世界最強の戦艦であっても、撃沈されたのは、数少ない艦船、航空機で戦う
日本は、圧倒的な物量補給能力を有する米軍に対して総合力で及ばなかったという
のが一応納得できる回答になっていますが果たしてそうでしょうか。
日本人は、閉ざされた島国の環境の中で、独特の文化を受け継いできました。
モノづくりに関しては、職人の優れた技能が受け継がれ、芸術品と呼ばれても
おかしくない、様々な伝統工芸品が生まれました。
刀などの武器や農機具、家具などを造るのは非常に上手ですが、広範囲のものを
結び付けてシステム化する、あるいはソフト的な見えないものを創造するという
作業は非常に苦手です。
そこは職人のものを見ればわかるとう現場・現物重視の世界で、モノの技術は
もの凄く高いものを持っています。
能力が高い職人だから、最終的に良い物が完成してしまい「ああ、これいいな!」
というように、そこで満足してしまいます。だから、「技術」という言葉の意味
がアメリカとは全く違って、職人の繊細な勘ででつくられたものを指しています。
■規格品を作るという技術
工業製品は、職人の持っている技術が高いだけでは、本当に良い製品になりません。
それは戦艦の大砲の規格、ゼロ戦の機体、機関銃の弾の規格の統一化がされていな
かったことなどに表れています。
職人仕事の完成度を一台ごとに追求はしても、複数の製品に関わる互換性には
目配りが足りず、戦後、アメリカが持ち込んだ大量生産とそれを支える品質管理の
考え方を、日本人は敗戦とともに学ぶことになります。戦前は、「俺は自分の気が
済むまでヤスリ掛けして美しく仕上げるぜ」という具合に、職人のプライドに支え
られていた部分もたしかにあったと思われます。
戦争はアメリカの物量に負けたというより、同じものを戦地にどんどん補給する
ためには、そもそも職人不要の量産品でいいのだという発想が、日本にはほとんど
なく、機銃の弾でも微妙に口径が違うとか、口径が同じでも薬莢の長さが違うと
いう状況が生じていたのです。
戦地に山のように弾丸があるのに、持っている銃に合わないということもよくあり
日本軍の装備の問題は、実は物量の不足にだけあったわけではなく、装備の互換性
が不可欠という近代戦争に必要な考えの不足が弱みとなって出てしまった面がある
と考えられます。
兵器にかぎらず工業製品は目的があってつくるわけですから、目的に対してどれだけ
きちっと出来ているかという点で判断しなければならないと思います。
■規格品を大量供給する工場
古来から続いた職人技の色濃く残っていた日本の製造業は、戦後アメリカから導入
された大量生産技術や品質管理の考え方を学ぶことになります。その一つがライン
生産に代表されるフォード生産方式です。
フォードの工場は、製品の標準化が行われ、製品のラインアップをT型フォード
一車種とし、その派生型のみを生産し、部品の規格化を行って、量産効率を高め
ました。
また、製造工程の細分化を行いベルトコンベア方式による流れ作業とし、生産
能率を飛躍的に向上させることに成功しました。作業マニュアルをつくり、高給
の熟練工を不要としました。工員に対して高速でルーチン作業をこなすロボットと
しての役割を求めたのです。マニュアルの整備により、雇ってから即戦力化する
までの期間を短縮化しました。
複雑な作業を自分で考えて行う必要はない、単純な作業をマニュアルどおり繰り
返し高速で行う能力のみが必要とされました。フォード生産方式の量産能力は圧倒
的であり、第二次大戦中、他の自動車メーカーが飛行機を1日1機つくるのが限界
だったのに対し、フォードはベルトコンベア方式により1時間で1機の飛行機を
作ったのです。
フォードは基本少品種で進めていたため、自動車が普及した時代になってからは
消費者のニーズの変化と多様化に次第に対応できなくなったのです。
市場が成熟し、自動車が普及してきたとき、差別化し、新たな魅力を消費者に
訴求するには多品種少量生産において高い生産能率を発揮することが求められる
ようになったのですが、フォードは対応できなかったのです。
■多品種少量生産時代の工場
80年代、オイルショックなどによりアメリカの自動車メーカーは凋落し、日本メーカーに負けたのです。なぜアメリカメーカーは負けたのか?なぜ日本メーカー
は躍進したのか?この理由が研究され、今度はトヨタの生産方式をアメリカが
日本から学んで、リーン生産方式が体系化されました。
生産マニュアルどおりに高速でルーチン作業を行う単能工が否定され、自律的に
生産方式を改善する多能工が評価されたことになります。ボトムアップのほうが
多品種少量生産に適しており、多品種少量生産が行えるならば、顧客ニーズの
変化に合わせて新しい製品を短サイクルで投入できることが評価されました。
フォード生産方式から、トヨタ生産方式までの過程で否定されたものと賞賛された
ものを列挙すると以下のようになります。
・否定されたものとは
少品種大量生産/生産マニュアルと単能工/単純化された作業
・賞賛されたものとは
多品種少量生産/自律した多能工/自働化された作業
さて、ここで日本の製造業は、その後順風満帆で発展できたのでしょうか?
(続く)